富士登山~人生でたった一度だけでいい~後編
夜と朝のグラデーション。
そして富士山のかげも。
末裔、ひーひー言う事さえもできなくなった状態で、なんとか登頂しました。
そして念願の参拝ですが、末裔は吉田口ルートだったもんで、富士火口のお鉢を巡らないことには参拝できないルートなんですよ。しかし天候に恵まれたおかげでお鉢を巡ることができ、馬の背から剣が峰へ至り、ほんとうの頂上へ至ることができました。
末裔の富士登山は、ほんとうに天候に恵まれました。
山頂アタックの夜は、満点の星空の下、いくつもの流れ星まで見ることができました。見上げるのではなく、正面に見えるオリオン座に妙にグッとさせられました。
そして雲海、ご来光、富士山の影も拝み、お鉢を巡り、剣が峰に登頂し、浅間大社奥宮へ参拝させていただけました。
わかります?
見れるものを全部見させていただき、やりたいこともやらしていただけたんです。
も う 二 度 と 登 ら な く て い い っ て こ と じ ゃ な い で す か !!
ありがとうございます!心残りがありません!!
いやしかし一番驚いたのは、ご来光拝んだ時の、自分の心の動じなさですよ。
ご来光みて感動して泣いたっつー話しをね、登山準備中に情報収集した中で聞いていたもんで、なに自分も泣いちゃう?みたいな。そんな覚悟をしていたんですけれども。
なかったね。
泣くどころかその心境たるや、なんと言いますか、確認っつーの?
本日の日の出の時刻を確認する作業員の心境みたいな。
うん。
っつって。
でも現実は泣いてる人間の方が圧倒的少数派ですよ。で、一緒に登った女3人で、ご来光を見て泣く人間をテーマに討論しまして。出した結論がこちらです。
泣くやつは情緒不安定。
っつーね。風情もへったくれの欠片もない結論ですけど、泣くやつがいるせいで富士山頂でご来光見ても涙腺が微動だにしない自分に、
あれ?なにこれもしかして心、死んでんじゃね?
つって、無駄に不安さにせられたんですよこっちはね。富士山のてっぺんでさ。そんなこと考えている暇があったら晩飯の献立考えたかったからね。賞味期限を切らさずに、いかに効率良く食材を使い切るか、無駄にしないか!そっちの方が、心が死んでいるかもしれないことの心配よりも現実大事でしょっつー話しですよ。
そして友人に感想を聞かれるたんびに、
二っ度っとっ行きたくないっ。
って回答していたんですね。したら、そんな事を言う人は初めてだ・と。
やれ感動しただとか、やれ人生観変わっただとか。そう言う人は何人もいたが、あんたみたいな感想は初めてだ・と。
末裔思った。嘘だね、って。
いやなにも、すべてを否定はしませんよ。しかしですよ。そいつら半分は絶対嘘ついてっから。富士山登って心震えちゃう自分、人生観変わっちゃう自分っつー作られたキャラに酔ってるだけだから。
ってここまで散々思ったことを書き散らしていて気づいちゃったかもしれないんですけど、
あれ?心が死んでるっつーよりも、末裔の心、汚れてんじゃね?
だとしたら、その事実に震える。
さて皆さま。
富士山山頂で泣く人間、あるいは末裔の心汚れている問題について。富士登山経験者のご意見を真剣にお待ちしております。
ただ言いわけだけさせていただくと、星空>ご来光みたいな?
感性はひとぞれぞれですからね、うん。
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